「ごめんね! すぐに終わるから!」
軽い唸り声のような適当な返事を返し、クローゼットの脇に置かれた小さなテーブルに座って、一心不乱に化粧している彼女に、恐る恐る声をかける。
「ね、砂糖ってある?」
「えー! 砂糖入れるの? 糖尿になってもしらないよ?」
一部音声が潰れて聞こえたが、口紅を塗っていたためである。繊細さと気合の両方を大量に必要とする作業ではあるが、リップブラシを片手に、至って気軽に台所へと立つ。
「はい、あんまり沢山入れちゃダメだよ?」
「わかった」
素直に頷き、有り難く使わせてもらう。
それにしても……。
「最近英国風が流行りなのかな?」
「えぇ? なにが?」
いや、と、適当に言葉を濁して、もう一度部屋の様子を観察する。
ユニオン・フラッグの入った鮮やかな色合いの化粧ポーチ。壁には複数のユニオン・フラッグ。正確に言えば、ユニオン・フラッグと、レッド、ブルー、ホワイトの三種類のエンサインがデザインされたロールスクリーン。部屋に流れる音楽は、バグパイプの音色が美しいスコットランド民謡。
……どうやら間違いは無いらしい。
「今日の映画どうする? イギリス映画も何かあったよね?」
「そうだっけ? でもさ、ディズニーの新しいのあったでしょ? あれ見たかったんだよね?」
最後の仕上げの、柔らかな眉のラインに入っているため、その台詞は妙に間延びして聞こえて来た。
「じゃあディズニーでいい?」
うん。と一言。指で軽く押してラインを整えている。
「そっか。なんか完全に英国趣味に走っちゃったのかと思ってたけど、そうでもないんだね……」
「えぇ? なんで英国趣味? 意味わかんないんですけど?」
口で言っている台詞と、態度が全く違う。この場合「意味わかんないんですけど?」の真意は、「どう? 綺麗に決まってる?」という意味である。
間違っても自分の台詞の『意味』など解説してはならない。
「おおお! いいじゃん! かっこいいよ、今日はお姉さま系で行く?」
へへへ、と、こっちまで思わず笑っちゃうくらいに、楽しそうに笑う顔を見て、密かに胸を撫で下ろす。
良かった。最近ようやくまともな化粧を覚えてきている。
正直、今日予約を入れた店に、赤いアイシャドーに真っ赤な口紅、目の下には涙のような十字架、頬にハートやドクロのマーク入りとかでは入り難かったのだ。
「折角だからさ、この間買ったジャケット着てよ、きっと似合うからさ?」
どうやら未だにゴスロリ系の影響の残る、白いレースのスカートと、真っ赤な飾り紐のついた漆黒のジャケットを着るつもりであったらしい。
確かにニーソックスは好きだが、この上レースの髪留めとかされても困る。
「化粧も大人の女性的な雰囲気だし、スーツほど堅くないし、絶対似合うと思う」
とりあえず駄目押し。
「それにさ、履くチャンスが無い、って言ってたブーツに合わせたら、ちょっとブリティッシュスタイルっぽくなっていいんじゃない?」
どうやら助かったらしい。
有楽町はともかく、銀座はゴスロリっ娘連れて歩きたいと思うような街ではないのだ。
「わかった。それにしても、なんでそんなに英国風にこだわるの? いっそメイド服でも着てあげようか?」
はい? 冗談ではありません。
「こだわってなんかないけどさ、なんか英国風な気分なのかなーって……?」
「どうして?」
と、多少恥ずかしげな様子を見せつつも、さっさと下着姿になって着替えを始めるのを横目に、無理やり、もう一口だけココアを飲んで、それに答える。
「だってさ、英国の国旗だらけだし、音楽もスコットランド民謡でしょ? このココアもそうだけどさ?」
言われて言葉に詰って聞き返してくる彼女。
「国旗? スコットランド? ココアは森永だよ?」
……え?
「これも、これも、これも、あとそこにあるのも、英国の国旗……」
「へーそうなんだ。かわいいよね!」
ちょっとまて。
「この音楽はイギリス北部のスコットランドって地方の民謡だって知ってる?」
「エンヤかと思ってた」
「このしょっぱいココアは、ロイヤル・ネイヴィーの――」
「うそ! まぢ? しょっぱい?」
慌てて自分用に入れたココアを一口。
ウバとうわの中間音で、砂糖と塩を間違えた事を告白する彼女。
あちゃー、とかなんとか、ごにょごにょ言ってる彼女に早く着替えるように促し、ため息をひとつ。
糖尿以前に高血圧だよなぁ、などと思いつつ、立ち上がって飲みかけの甘しょっぱいココアを流しに捨てる。
一体いつになったら、愛するこの娘を両親に紹介できるようになるのかと、半ば絶望的になりながらも考え込んでしまう。
「……こんど、一緒に料理教室でも行こうか……?」
おしまい
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詳しくは実際に確認してみてください(投げやりですまんです)
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